Kindleで本読んどる

Kindleでの電子書籍購入数が200冊を突破したので、SF小説をメインに書評や感想を書き散らします。

「天地明察 特別合本版(冲方丁)」の感想 重厚さと軽妙さを兼ね揃えた珠玉の歴史小説

作品名 天地明察 特別合本版
著者 冲方 丁(うぶかた とう)
ジャンル 歴史小説
出版元 角川文庫
評価 5点:★★★★★(全力でおすすめ)
対象年齢 中学生以上
おすすめの人 時代考証のしっかりした歴史物が好きな人。山本周五郎作品のように心の機微が描かれた作品が好きな人。

昨日の「アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイス)」の記事で「都市と星(アーサー・C・クラーク)」を同レベルの傑作として持ち上げたましたからそれを取り上げようかと思ったのですが、ちょうど昨日読み終えた「天地明察」も相当に面白かったので読了直後の熱が残っている間に感想を書いちゃおうと思いました。

 さて、この作品を書いた冲方丁という作家さんは随分と多芸な方で、「ばいばい、アース」ではハイファンタジー、「マルドゥック・スクランブル」ではSFと、歴史物とは縁遠いと思われる作品でヒットを飛ばしてきました。Wikipediaの作品一覧を見ると漫画の原作やゲームのシナリオライティングも手がけられたようで、なんというか一度頭蓋骨をかっさばいて脳みそを見せて欲しくなるタイプの異才です。

その異才、冲方丁が書いているものですから、どんな奇をてらった物語が繰り出されるのかと思いきや、超人的なニンジャも幻術を操る陰陽師も一切登場しない至極まっとうな歴史小説で逆にびっくりさせられます。それでいてめっぽう面白いのだから、冲方丁の才能は空想的な世界観を構築すだけでなく、ストーリーテリングもずば抜けておるのだなあと、つくづく感服の至りです。

天地明察の主人公は安井算哲。本因坊家と並ぶ囲碁の名家に生まれ、将軍や幕閣に囲碁の指導をすることを務めとするちょっと変わった生業についています。しかし、算哲は囲碁にはいまいち意欲がそそられず、数学や天文学にのめり込むという変わり者です。

やたらに律儀なところがあり、囲碁に本気を出していない自分が安いの名を名乗るのもちょっとどうかな、という思いもあって「渋川春海」という名前を好んで名乗っていたり、そのくせ家や周囲に迷惑をかけるわけにはいかんよな、というので碁打ちとしての勤めはしっかり果たしていたり。

うーん、なんだろう。超絶的に天才であるはずなのに、嫌味がなくすんなり受け入れられる人物なんですな。人に迷惑をかけたり、怒られそうな場面では卑屈に思えるほどに恐縮するのがまたかわいらしい。物語の終盤では初老を迎えていることもあり、さすがに老獪さも身につけておりますが。

物語の大きな軸は「改暦」と「算術」です。徳川四代将軍家綱の治世。戦国の世の混乱も風化しつつあるころ、800年の長きに渡って使われてきた宣明暦に狂いが生じています。日食や月食の予報がしばしば外れることから「どーもこのカレンダーはおかしいぞ」となっているものの、旧弊と既得権益にまみれた公家はあれこれ理屈をつけて改暦に乗り気ではありません。

そしてなにより、誰も「日本の正しい暦」を作る方法を知らなかった。

この物語は、渋川春海が生涯を賭してこの難事に挑む話です。こう書くと実に地味そうだと思われそうですが、否、否、否。実に起伏に富んでおり、男に生まれついたからには一事を成し遂げたいものだと胸が熱くなる伝記小説的な要素もあります。

登場人物もいちいち魅力的。

とくにヒロインの「えん」のツンデレぶりや、時代劇の「黄門様」のイメージとはまるで違う水戸光圀の豪傑ぶりは印象に残るでしょう。春海がえんに怒られてしぼむシーンや、光圀公の前に出るたびに殴り殺されるんじゃないかと不安になるシーンなどは、お約束的ではありますが思わずにやにやさせられます。

重厚さと軽妙さを兼ね揃えた珠玉のエンターテイメント。自信を持っておすすめできる1冊でした。

天地明察(特別合本版) (角川文庫)

天地明察(特別合本版) (角川文庫)

 

なお、このKindle限定の「特別合本版」にはおまけがついており、本作の元となった同作者の短篇「日本改暦事情」が収録されています。基本的なプロットは一緒で、描写の細やかさに違いがある感じでしょうか。

「日本改暦事情」を膨らませて面白さを増したのが長編「天地明察」なので、普通の読者にはあんまり有益なおまけではないと思うのですが、作家の発展の過程が見られるので、冲方丁の熱心なファンや、創作を学んでいる方には興味深い資料になるのかな、と思いました。

日本改暦事情 (角川文庫)

日本改暦事情 (角川文庫)